ぶるぶる文庫

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女は嫉妬で蛇になる

 

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 能面の「般若」は誰しもご存知かと思います。嫉妬や恨みに狂い、怨霊と化した女の面です。「般若」とは元々「智慧」を表す言葉で、嫉妬や恨みやましてや怨霊とは何の関係もない言葉でした。それが面の名前になったのは、「般若坊という面打ちの名前から取った」「怨霊が般若心経を聞いて改心したから」といった説があります。

 

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 同じく怨霊の面で「生成」という面があります。これは般若になる前の段階の女の面です。角も短く、般若面と比べると顔も幾分柔和(?)で比較的恐くないのですが、人間味を残している分、不気味でもあります。

 

 「生成」に対して、般若は「中成」と呼ばれています。“成っている途中” そう、般若ですらまだ完成ではないのです。ご存知でしたでしょうか、「本成」と呼ばれる面があることを。女の怨念が行きつく先の面、それが「蛇(じゃ)」です。

 

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 蛇の面は般若に似ていますが、表情は更に険しく、怨霊の度合いが増しています。耳も無くなっていまして、これは“聞く耳を持たない”という意味を表しているのだそうです。蛇の面は、鬼神系ではもっとも早くに出来た面で、般若も生成も、蛇から派生して出来たと言われています。

 

 今から千年以上昔、奥州白河に安珍という若い僧がいました。安珍は毎年、熊野権現に参詣してまして、その際に紀州牟婁郡の真砂庄司清重という男の家を宿にしてたのですが、ある年恐ろしい事が起こります。

 庄司清次には清姫という娘がいたのですが、この清姫安珍に惚れてしまうのです。高まる想いを抑えきれない清姫は、夜這いをかけて安珍に迫ります。まったくその気が無い安珍は、「参拝を済ませたら、帰りにまた立ち寄るから」と嘘をついて熊野へ出立し、参拝後は清姫を避けて帰ってしまったのでした。

 いくら待っても安珍が帰って来ないことを訝しんだ清姫は人づてに行方を探し回り、安珍が別の道を通って帰ったことを知ります。騙されたことを知り、必死に安珍を追う清姫。草履が擦り切れ、足から血が流れても構いません。道の途中でやっと追いつきますが、清姫の鬼のような形相を見て安珍が思わず言い放った言葉は「人違いです」でした。

 これに清姫はさらに激怒。怯えた安珍は今度は念仏で清姫を金縛りにし、その隙をついて逃げ出します。清姫の怒りはいよいよ天を衝き、その姿は恐ろしい毒蛇へと変わりました。安珍は這う這うの体で「道成寺」という寺に逃げ込み、鐘を降ろしてその中に隠れます。清姫はこれを見つけると鐘に巻き付いて火を吐き、安珍を焼き殺してしまうのでした。

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 平安の昔から伝わる「安珍清姫」の伝説です。この物語を基にして、「道成寺物」と呼ばれる歌舞伎や舞踊などの様々な作品が作られました。能の「道成寺」で使われるのが、蛇の面なのです。

 

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こちらは「蛇」をさらに凶暴にした「真蛇」。同じ能の演目でも流派によって使う面が異なる場合があり、道成寺に「般若」を使うこともあります。

 

 キリスト教七つの大罪のひとつ「嫉妬」を表す動物は蛇ですが、洋の東西を問わず、蛇は昔から嫉妬や恨み、執念の象徴になってきました。例えば『絵本百物語』には「手負蛇」という蛇の怪異譚が載っています。傷つけられた蛇がその恨みを忘れず、家まで追ってやってくるのです。鎌倉時代の歴史書吾妻鏡』には、北条家のお姫様が、滅ぼされた比企一族の娘・讃岐局の怨霊に祟られた話が載ってます。讃岐局は角を持った大蛇になったのだとか。説教節 『刈萱』には、嫉妬が蛇の姿を取る話が登場します。加藤左衛門尉重氏という男がいまして、妻と妾を同居させていたそうです。妻と妾は仲良くしていたのですが、ある夜、妻と妾の髪が毒蛇に変じて絡まり合い、相手に食らいついて争っているのを重氏は見てしまうのでした。重氏は世の無常を感じ、出家してしまいます。

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『古今著聞集』にも「嫉妬の蛇」の話が載っています。ある僧が遊女のところへ通うのを、僧の妻が嫉妬して狂おしく思っていました。ある夜、いつもの通り僧が遊女を抱くのですが、どうも妻としてるような気になります。不思議に思い女の顔を見るのですが、そこにいるのはもちろん妻ではなく遊女です。気を取り直してもう一度しようとすると、やはり妻としている気になります。恐ろしく思い離れようとすると、五六尺もの蛇がするすると這い寄って、僧の陰部の頭に食らいついたのです。振り払おうとしても蛇はますます強く食いつき、離れようとしません。僧は刀を抜いて蛇の口を切り裂き、これをはずしました。切り裂かれた蛇は死に、僧も病み衰えていったのでした。また、本当かどうか分かりませんが、僧の妻もその晩から病んで、やがて死んだそうです。

 

 逆に男が蛇になる話はというと、これがあまり見ません。蛇が男に化けて娘に会いに来る「蛇婿入」の様な話ならあるのですが。実は、能面でも男の鬼系の面に角は無く、角を持つのは生成や般若や蛇といった女の怨霊系の面のみなのです。そういえば和風の結婚式のとき、花嫁が頭に巻く白い布を角隠しといいますが、これは女が嫉妬に狂って鬼になるのを防ぐ一種のまじないの意味もあるのだとか。どうやら昔から女は優しいものであると同時に、恐ろしいものであると考えられていたようです。

 

「鬼が出るか蛇が出るか」ということわざがあります。どんな恐ろしいことが起こるか分からないという意味を表す言葉です。昔はずっと「鬼と蛇だったら、蛇の方が怖くなくていいよね」なんて思ってましたが、とんでもない、どちらを選ぶこともできないくらい両方恐ろしいモノだったのですね。男性の皆さまにおかれましては、側にいる女性が蛇にならぬようどうか十分にお気を付けください。

 

 

※今回使用した能面の画像は、イノウエコーポレーション様のサイトの画像を許可を得て掲載させていただきました。

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