ぶるぶる文庫

学んで纏めて知ったかぶって

実は不吉な木だった桜

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桜の樹の下には屍体が埋まっている”

 

  明治時代の小説家・梶井基次郎の短編小説『櫻の木の下には』の一節です。桜の美しさを理解する為に忌むべきものの存在を信じずにはいられないというこの話は、あり得ないとは解りつつも、ふと納得してしまいそうになる奇妙な怪しさに満ちています。

 

 言うまでもなく桜は日本を代表する花です。長い冬を耐え、一斉に咲き誇り、瞬く間に散ってしまう。その儚い美しさは、多くの人々の心を駆り立ててきました。花を咲かせば人々はその木の周りに集い、合格やお祝いの象徴にも使われ、ここまでめでたいというイメージに溢れた花も他に無いかと思います。でもご存知でしたでしょうか。元来、桜は不吉な木とされていたのです。

 

 桜はパッと咲いてパッと散ります。今でこそ美しさの根拠のように肯定的に捉えられていますが、昔は「人の死」だったり「物事の失敗」と関連付けて捉えられ、縁起の悪いものだと考えられていました。また、桜の花びらは散った後にすぐに色褪せることから「心が変わり」を意味するとも考えられており、桜の季節の結婚や、おめでたい席での桜湯は縁起が悪いと避けられていたのです。

 

 また「桜を庭に植えると家が栄えない」とも言われ、庭に桜を植えるのは敬遠されています。理由としては、

・すぐ散るから縁起が悪い。

・すごく養分を吸うので、他の植物が育たなくなる。

・桜は枝を切ると枯れやすくなるので剪定ができない。成長すると枝葉が茂って日光を遮り、家の日当たりが悪くなる。

・桜は根が強くて大きく根を張るので、建造物を破壊することもある。

といったことが挙げられるようです。河川沿いの堤防に桜が多く見られるのは、桜の強い根が護岸に適しているからなのですね。他にも大量の毛虫が発生したり、落ち葉の掃除が大変だったりと、庭木にはあまり向いてないようです。

 

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 桜がめでたいものと考えられるようになったのは江戸中期頃から。この頃から庶民は花見を楽しむようになりました。なぜここまでイメージが変わったのか、はっきりとした理由は分かってません。その昔、桜は鎮魂や慰霊のために植えられることもあり、墓地や戦場跡地に多く咲いていたそうです。人の死と関わりが深い場所で盛大に散っていく桜は、戦乱の時代に於いてどうしても人の死の象徴するものと捉えられやすかったのではないでしょうか。平和になった世の中で、はじめて「桜咲く=めでたい」という発想が生まれたのです。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」この言葉は、日本人が忘れてしまった桜の本来の姿を掻き立てるものに思えてしょうがないのです。

 

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 一つ、桜にまつわる妖怪の話があります。久兵衛という男が安曇野の林に猟に入るのですが、美しい山桜の林に迷い込み、そこで若く美しい女と出会うのです。二人は互いに惹かれ合い、林で幸せな時間を過ごしました。しかしいつまでも留まる訳にはいきません。久兵衛は女に再会の約束をして別れを告げます。すると不思議な事に女の姿は消え、桜も散ってしまったのでした。久兵衛は里に戻りますが、どうしても女のことが忘れられません。再び山へ行き、そしてそのまま戻って来なくなったのです。心配した人々が山を探すと、久兵衛は山桜の花びらに埋もれて死体で発見されたのでした。このことから、女は桜の精と噂されたということです。