ぶるぶる文庫

学んで纏めて知ったかぶって

うぶめ 消えていった悲しい妖怪

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 血に塗れた腰巻を纏い、赤子を抱いた女が雨に打たれながら暗い夜道に立っている。女は通りがかった人に赤子を預けると、どこかへ消えてゆく。夜が明けると抱いていたのは赤子ではなく石だった。これが妖怪“うぶめ”です。

 うぶめは「産女」とも「姑獲鳥」とも書きます。「産女」は日本由来の赤子を預ける妖怪ですが、「姑獲鳥」は中国の姑獲鳥(こかくちょう)という幼児を害する鬼神が由来です。うぶめが赤子を預ける理由はよく分かりません。預からずに逃げると祟られる、預かると幸運を授かる、女が念仏を唱えると赤子がだんだん重くなり、必死に耐えると怪力を授かるなど、地方によって様々な言い伝えが残ってます。

 

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産女はお産で死んだ女の妄執の念が妖怪になったものです。あくまで妄執の念であって、決して幽霊ではありません。死んだ妊婦をそのまま埋葬すると未練が残り、産女になるという概念は古くから存在します。それゆえ、多くの地方で子供が産まれないまま妊婦が産褥で死亡した際は、腹を裂いて胎児を取り出し、母親に抱かせたり負わせたりして葬るべきと伝えられたりもしています。

 うぶめは決して知名度が高いとは言えない妖怪です。私も知ったのは比較的最近の話で、小さい頃に親などから話を聞いた記憶はありません。一般人10人に聞いたとして、1人知っていればいい方ではないでしょうか。しかし、調べていただけると分かるのですが、うぶめに関する情報は実に多く溢れています。全国各地にうぶめの伝承が伝わっているのです。実は、かつてうぶめは河童や天狗等と並ぶ最もポピュラーな妖怪の一つだったのだそうです。様々な言い伝えを残し、数多くの妖怪画に書かれたうぶめ。彼女達はなぜ消えていったのでしょうか。

 

 出産は命がけと言いますが、昔は本当にお産で多くの母親が命を落としていました。医学が発達してなかったのが主な原因ですが、出産時の妊婦の置かれた境遇の悲惨さも大きな理由でしょう。

 古来、日本では大量の出血を伴う出産は非常に忌み嫌われていました。江戸時代などは、出産が近づくと家の外にわざわざ産屋を建てて妊婦を隔離し、そこで出産をさせていたほどです。火を通して穢れが移るからと、ご飯の釜戸も別にするほどの念の入れよう。もちろん夫が出産に立ち合うことなどありません。産屋を建てられない家は納屋や土間や納戸で、それも無理なら馬小屋がお産の場でした。馬小屋で生まれるのはキリストや聖徳太子の専売特許ではなかったのですね。

 

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 出産の手助けをするのは大抵の場合、医者ではなく産婆です。下手な医者よりは豊富な経験を積んだ産婆の方がよほど頼りになったそうですが、産婆にも怪しい者は多くいたとか。もちろん、逆子などの難産の場合に帝王切開する技術はありません。産道が損傷しても、出血を止める手段すらなかったのです。死の危険を背負いながら、妊婦は横になることも許されず、座って出産するという壮絶な方法でお産をしていました。

 

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 妊婦の苦しみは産後も続きます。食事は制限され、産婦が食べれるは主にお粥と鰹節だけ。頭に血がのぼらないよう、産後も最低七日間は横になれず眠ることもできませんでした。これが、命がけの仕事を終えた母親が受ける仕打ちだったのです。出産を終え、数日後に妊婦が亡くなることが多かったと聞きますが、それも当然だと思います。

 

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 現代では医学が発達し、妙な偏見や因習も無くなり、出産で母親が命を落とす事例は驚くほど少なくなりました。日本の妊産婦死亡率はおよそ10万人中5人。世界でも最少レベルを誇っています。かつて、お産の現場で起こっていた不幸は、今ではほとんど見られなくなりました。そして、いつしかうぶめも姿を消していったのです。

 雨に打たれながら夜道に立ち、赤子を預かってくれる人を探す母親がいない。それはとても喜ぶべきことなのです。

 

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