ぶるぶる文庫

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雨大国日本と、そこに棲むのんきな妖怪の仲間たち

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 日本は雨の国です。これほど雨に恵まれている国もそうありません。住んでいる私達にはなかなか意識できないかもしれませんが、実は日本は世界平均の約二倍の降水量を持つ雨大国なのです。世界各地の山の画像を調べると、ヨーロッパは険しい岩山、中国では水墨画のような禿山、アメリカや他の乾燥地帯では茶色い岩山が出てきて、私達が普段見慣れている緑に覆われた山が決して当たり前ではないことが分かるかと思います。日本の豊かな雨が緑を育て、標高の高い山にまで樹木を覆い茂らせ、この珍しい景色を作っているのです。

 

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 恵みと災いをもたらす雨は、古来より崇拝され、同時に畏怖されてきました。旧約聖書『創世記』には、「ノアの方舟」の伝説が出てきます。人々の堕落を見た神が四十日四十夜雨を降らせて大洪水を起こした有名なお話ですが、実は大洪水の伝説が伝えられているのは「ノアの方舟」だけではありません。インド神話ヒンドゥー教のプラーナのマツヤギリシャ神話のデウカリオーン、「ギルガメシュ叙事詩」のウトナピシュティムなど、大洪水は世界中の文化の大部分に共通して見られる伝説なのです。伝説の中で洪水は文明を壊滅させ、また新たに創造します。雨の持つ災いと恵みという二面性は、神話の昔より人々の信仰の対象だったのです。

 

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世界中のどの信仰でも、雨は神が活動することによりもたらされるとされています。人の力の及ばない天候は、まさに神の力の象徴だったのです。人はその力が及ばないはずの天候を、祈りでコントロールしようとしてきました。つまり雨乞です。雨乞の風習は世界中で見られ、その土地に伝わる独自の儀式によって雨を呼びます。儀式の内容は、呪文を唱える、水を撒く、人形を川に投げ入れるなど様々ですが、どれも神の注意を惹き、喜ばせ、同情を買う目的で行われてきました。当然降水量が少ない地域に行くほど儀式は重要なものとなっていきまして、極端なものでは人身供犠を行うものまでありました。もちろん日本にも様々な雨乞の風習が伝わってます。山野で火を焚くもの、神仏に芸能を奉納して懇請するもの、神社に参籠するもの、呪術を行うもの。面白いものでは水を汚すなど、わざと禁忌を犯して水神を怒らせ、雨を降らせようとしたものも。みんな神様の気を引こうと必死だったのですね。

 

日本の雨神といえば楯縫郡神名樋山の多伎都比古命(タキツヒコ)でしょうか。かの有名な大国主命オオクニヌシ)の孫に当たる神様ですが、『出雲国風土記』にしか登場せず、さほどメジャーな神様ではありません。他には、水を司る神が祈雨の神としても信仰されている場合が多く、降雨専門の神様というのがあまりいないというのが八百万の神界の現状といえます。雨を降らせる存在として忘れてはならないのが龍神です。神様が天上界から降りてくる際、往々にして龍に乗ってやってくるとされています。その際の天上界の光が稲妻であり、雷鳴は龍の鳴き声であると昔から考えられいるのです。龍が雨を降らせる話は色々な形で残っていまして、日本各地に伝わっていいる「雨を降らせて殺された龍」の伝説では、旱魃に苦しむ人々を救うため、龍が禁じられていた雨を降らせ、それ故龍王に殺されてバラバラになって地上に落とされてしまいました。龍ってなんと優しく健気な生き物なのでしょうか。

 

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 雨を呼ぶ存在では、妖怪「雨女」というのもいますね。迷惑な妖怪ですが、旱魃が続いたときに雨を降らせてくれる神聖な雨神の一種とされる事もあります。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも雨女が出てきますが、こちらは性質がちょっと違ってまして、雨にまつわる妖怪といった記述は見られません。解説文には「もろこし巫山の神女は 朝には雲となり 夕には雨となるとかや 雨女もかかる類のものなりや」と書かれてます。これは、楚の懐王が夢の中の巫山の女を愛し、女が去る際に「朝には雲となり、暮れには雨となり、朝な夕な陽台の下で会いましょう」と言い残したエピソードから引用されたものです。「朝雲暮雨」は男女の密やかな交情を示す故事成語で、石燕の雨女は江戸時代の吉原遊郭を風刺した創作画と言われています。

 

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 「雨降小僧」は中骨を抜いた和傘を頭に被り、提灯を持った姿で描かれている妖怪です。それ以外に特徴らしき特徴がない、存在意義がよく分からない妖怪です。江戸時代の黄表紙では、小間使いの役目をする妖怪として登場しています。「雨の小坊主」は主京都によく出没したと言われている妖怪です。夜道で男の子が雨に濡れているのですが、かわいそうにと思って家に連れて行こうとすると、道の途中で顔が五倍に膨れ上がり、鼻も耳もない三つ目の小僧に変わっているのです。雨の小坊主に笑いつけられると気絶してしまい、気が付いたときには全く違う場所に倒れているのだとか。「すねこすり」は雨の日に現れる子犬のような姿をした妖怪でして、歩いている人の足をこすりながら通って、邪魔をします。雨に恵まれた国だからなのかしれませんが、雨に関する妖怪はどうも平和でいたずら好きなものが多いようです。

 

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